1963年弘前市生まれ。62歳。5歳から14歳までの幼少期を米国ニューヨーク州で過ごす。世界の最先端の大都会で過ごした9年の生活後に日本に戻ると「どこも同じ」と感じ、中学生から大学院まで過ごした札幌市にも「違うな」と違和感を感じて過ごした。東川町に1980年代に一歩足を踏み入れた瞬間に「生きるエネルギーをもらえるのはここだ!」と直感的に感じ、2010年に移住。地元の消防団員として普段から防災に参加。DMAT隊員として東日本大震災と能登半島地震で医療活動をした。北海道PUSHの代表として、心肺蘇生法の市民啓発に力を注いでいる。北海道特有の医療を見直すため、2014〜2016年第56次日本南極地域観測隊の医療担当隊員兼越冬隊長補佐として過ごす。現在、パラトライアスロン競技のアジア唯一の国際クラシファイアとしてアジア各国で活動中。また、アニマルセラピーを用いた新規リハビリテーションの研究を始め、発達障がいや認知症の治療効果を求めている。「まずは第一歩を!」が持論である。
中高校生になると、多くの方は様々な壁にぶち当たることでしょう。私自身、2浪しても果敢に攻め続けて医学部に進み、また医師国家試験も2回受けて医師になりました。不思議なことに、挫折を感じたことは一度もありません。そんな私は、どんな幼少時を過ごし、何をきっかけに東川町に住むことになったのでしょうか。そして、今またどんな新しいチャレンジに立ち向かっているのでしょうか。答えは、全てが「人と人の繋がり」です。今日からすぐ出来ることにつき、参加したあなたにだけ、ヒントをいくつか伝授しましょう。